雪村周継(せっそんしゅうけい)とは


生没年不詳。室町時代の画僧。法諱は周継、道号は雪村。鶴船・舟居斎と号す。常陸国生まれ。佐竹氏の一族。生年については、1504年(永正元)と1492年(明応元)頃の2説がある。雪舟に私淑して画事に励み、動的で個性的な作品を多く残した。若年の頃は常陸太田市の正宗寺に身を寄せたらしいが、その後は会津、小田原、鎌倉など、東北、関東の各地を遍歴。晩年は奥州三春に庵を結び隠棲。代表作は「松鷹図」「風濤図」「呂洞賓図」「自画像」など。

出展:『日本史広辞典』1997年9月第1版印刷・発行所:山川出版

 

 

出身と生誕地

「僧雪村 諱ハ周継、鶴船翁老ト号ス 佐竹ノ一族二シテ 而常州部垂ノ村田郷ノ人也」雪村は佐竹氏の一族として部垂の村田郷に生まれたが父は側室の子を愛し廃嫡されたため僧になったこと、生まれつき絵を好んだことなどが記されています。

 

「画仙雪村翁 雪村翁ハ下村田の産也 畫名天下ニ轟す土人 其姓氏を詳にせず画翁の屋敷迹西の方山ニ着て古迹を遺す里人雪村屋敷と唱ふ」

 

常陸大宮市下村田には市の史跡「雪村筆洗いの池」があり、幕末の水戸藩士加藤寛斎が遺した『常陸国北郡里程間数之記』には、人々が雪村の住居跡を今でも雪村屋敷と呼んでいること、雪村は近くに湧き出す泉水を画に用いたので、「雪村面影の井」あるいは「硯の井」と呼んでいる、と記しています。

作品の評価

明治期、日本美術再興に取り組んだ美術思想家・岡倉天心(1863~1913)は東京美術学校で「日本美術史」を開講。

「雪村は雪舟と阿弥家と間にありて、雪舟を正面とすればその裏面を描けりと称すべきものなり」

また、「アジアはひとつである」の名文句で始まる『東洋の理想』で「雪村は禅の理想のもうひとつの本質的な特徴をなす自由でこだわらぬ軽みが生きている」と指摘しています。

 

およそ雪村の芸術のごとく著しく個性を帯びたものは世に稀であろう。其の一小幅にも潜められた大自然の偉大なる「力」、無限に流れるものの如き「動き」、人間的な「親しみ」・・・

福井利吉郎『雪村新論』岩波講座日本文学 水墨画 1933年

 

雪村の足跡


雪村年表


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